2007年 10月 28日
街と人 |
日曜日の今日、ボローニャとその近郊はやっと太陽に恵まれた。太陽の光は偉大だ。生活上何も改善も向上もないのに、太陽の光が降り注いでいるだけで気分が明るく前向きな気持ちになれる。私は特に天気に左右されやすい性格であるから、太陽が有ると無いとでは大変な違いだ。しかし恐らくは多少なりとも誰もがそういう部分を持っているのではないかと想像する。昨日の散策にこの太陽が加わっていたら素晴らしかったのにと思うけど、それは次回に期待しよう。ところでその昨日の散策。目に飛び込んでくるものは既に冬色に変わった街と人々であった。夏の開放的な雰囲気はもう微塵もない。暑いと言って日陰を探して歩いていたことが勿体無かったようにすら思える。街は分厚い雲に覆われて必要以上の重圧感を嫌でも感じた。人々が集い、また行き交う街の中心のpiazza maggiore は賑やかですらあるけど夏の楽しい雰囲気はもう無い。行き交う人々の服装もダークトーンのものが中心で早くも着膨れしていた。足元もショートブーツである。私はもう少し秋の余韻を味わいたいので皆より一歩手前の一見軽装だったが、実を明かせばコートの下はウールのセーター、更にその下には防寒のシャツを重ねていたし夕方にはコートの襟を立てて冷たい風を避け無ければならなかった。格好付けている場合でないほど寒い季節がもう直ぐそこまで来ているのを感じるからこそ、残りの数日を秋として楽しみたい私の冬への小さな抵抗であった。それにしてもpiazza maggiore が好きだ。何が好きかと言えばひとつの色に染まることなく多種も人が集まるからで、そして誰のものでもないからだ。広場を取り囲む建物にも垂れ掛かって人間を観察すると面白い。年齢層も広いが人種も体の周りを取り囲むその人の人間性らしきものも様々だ。街があるから人が居て、人が居るから街が成り立つ。当たり前のことをたまに改めて考えると深く感心する。そんなことから新しい発見も生まれるものだ。踵を返してvia d'azeglio を歩く。例の手袋の店を覘きたくて。しかし残念ながら昼休みであった。イタリアの店の昼休みは長い。便利且つ合理的な国から来ると、その昼休みの長さに腹が立つこともある。私にしてもそうであったが暫くするとそれは店で働く人には大変都合の良い、人間らしい生活を尊重したシステムであることが判り腹も立たなくなった。勿論時間に制限のある人にとって長い昼休みは迷惑以外の何でもないだろう。しかし私はいつでも戻ってこれるのだから、少なくとも私が腹を立ててはいけない、と思う。また来よう。そう言いながら先へと進むとvia farini との交差点に花売りが居た。誰か買う人は居るのだろうか。様子を見ていたが誰も足を止めることが無く・・・私にしても今花を買えば散策に不自由だし・・・。と、後で戻ってきて帰る直前に買うことに決めた。そうして夕方4時過ぎに戻ってきたら花売りはもう居なかった。場所を変えたのだろうか、それとも寒くてもうやっていられなかったのだろうか。花を買いそびれて手ぶらで家に帰ることになった。そうして事実上、夏時間が終わり今朝早く時計の針を1時間ずらした。これからは夕方暗くなるのが益々早く、夕方5時半には空に墨を流し込んだように暗くなり始める。もう仕事の後の散策は来年までお預け。そう考えたらひとつ大きな溜息がでた。
by yspringmind
| 2007-10-28 18:03
| bologna散策・あれこれ