2007年 01月 14日
sicilia |
一体どんなところなのかまだ良く知りもしなかった頃からシチリアは私の憧れだった。それは写真や映画で見たシチリアが眩しいほど素敵だったこともあるが、一番のきっかけは今では昔の歌になりつつあるPino Danieleが歌っていたSicilyだったと思う。その頃の私はイタリア語なんて全然わからなかったがイタリア語が分かるようになってやっと本当の意味がわかった時に、実は曲から自分勝手に想像していた内容が間違っていなかったことを知って心底感激したものだ。どのくらいの人がこの歌を知っているだろうか、1993年の既に13年以上前の歌だが今聞いてもちっとも古い気がしないのは単に私がこの歌に心底惚れているからだろうか。曲にしても歌詞にしてもシチリアを実に正しく表現している、彼の傑作のひとつだと思う。さて、それだけ憧れたシチリアに初めて行くことになったのは数年前の3月初旬だった。ボローニャは曇り空で肌を刺すような寒さだったが、南に行くにつれて太陽の陽射しが強くなり木々の緑が濃くなって空は青く高く開放的だった。カラーブリアの何処だったか、限りなく船乗り場に近い高速道路沿いのバールでオレンジをひとつ売って欲しいと頼んだら、持って行きなと言って2つ手に乗せてくれたことは数年たった今でも覚えている、シチリアの旅の始まりのportafortuna(幸運をもたらす出来事)だったが、船で渡って到着したシチリアは私が想像していたよりも映画や写真で見たよりも色彩豊かな開放感溢れる土地だった。タオルミーナ近くの漁村に宿を取り夜な夜な聞こえる波の音を聞きながら、ああ、ここは本当にシチリアなのだと実感した。波の音は何て心地よいのだろうか。この音を聞いて育った人々は波の音の聞こえないボローニャに暮らすことは耐えられないだろう、などと考えたものだ。この漁村にはもう一度シチリアに行くときに必ず寄ろうと思っているが、もう一箇所是非とも再訪したい好きなところがある。チェファル。ここは有名なのでかなり観光化された町だが、それでも少し奥に入り込むと観光化から免れた自然な姿を望むことが出来る。大きな教会を右手に見ながらひたすら真っ直ぐ歩いてて行ったら小さな広場に辿り着き、広場に流れ込んで来そうなくらい水域の高い青い海が目の前に広がった。素敵な景色は今までの人生に沢山見てきたが、この時ほど私の感情を両手でぎゅーっと握り締められるようなことはなかった。このまま突き進んでいけば海に辿り着くだろうとは想像していたが、こんな青い海が待っているとは思っていなかったのだ。風もない春の穏やかな気候のその日の海は水面に波が立つこともなかった。海のない町に生まれ育った私、海のないボローニャに暮らす私にはチェファルの海はあまりにも青くて寛容で印象的だった。ミラノやローマ、フィレンツェやヴェネツィアがイタリアの象徴的(?)な町だと言うならシチリアもまたイタリアを語るには欠かせない大切な土地だろう。あれから何年も経った。そろそろ再訪計画を立ててみたいと思う。
by yspringmind
| 2007-01-14 14:18
| 小旅行・大旅行