近頃雨に降られない日は1日だって無い。と言っても一日中降っている訳ではない。今日は天気が良さそうだと思って家を出ると昼前に驚くような強い雨に降られたり、天気が良いから寄り道して帰ろうと思っていると職場を出る前に雨が降り始めたり。昨日もそうだった。私は酷く疲れていた。こういう時は気分転換が必要で、ぶらぶらと散策するのが宜しい。丁度旧市街で店を営む知人から立ち寄らないかと誘いを受けていたし、何より外の様子が良い感じであった。雨は降りそうに無かった。ところが帰り道に急に雲行きが怪しくなって案の定大雨に降られた。私は天気に左右される人間。特に雨が大嫌い。雨の中を歩くなんて考えるだけでも嫌なのだ。何が嫌って足元が濡れること。多分それは私に限ったことでは無いだろう。それでもバスに乗って旧市街へ向ったのは、知人が誘ってくれたからだ。そうでなければ家に直行していたに違いない、それが楽しい金曜日の夕方であっても。旧市街は雨に濡れていた。しかし少し前に雨雲が通過したらしく、天から雨粒が降り落ちてくることは無い。至る場所にある水溜りを上手く避けながら歩けば良いだけだった。色んな所に寄り道しながら知人の店へ行くと先客が居た。それでその近くのStudio に居るに違いない知人ふたりを訪ねてみたが、彼らはこの日に限って不在であった。がっかりだった。ついていないなあ。そう言いながら肩をがっくり落として歩いていたら携帯電話が鳴った。知人からで店に遊びに来ないかとのことだった。どうやら先の客人が帰ったらしかった。私が知人に会うのは2ヶ月半ぶりのことだ。もっと早くに訪ねればよかったが、私はいつだってそうなのだ。同じ町に暮しているからいつでも会える。そう思うと先延ばしにしてしまう悪い癖。人生なんていつ何が起こるか分からないのに。知人はそういう私を快く迎えてくれた。そんな風に迎えてくれる人が居るってなんて素敵なんだろう。それを私は幸運と呼ぶ。ひとしきり知人と近況報告などした後、私は幾つかの服を試着した。これらは彼女が生み出した服だ。肌に優しい素材にこだわり縫いしろにしても充分こだわって作り出した服。話には聞いていたが纏ってみてはっきり分かった。なんて軽いのだろう。例えて言えばもう一枚の自分の肌みたいなもの。くすぐったいほど気持ちが良い。そんな言葉ってあるだろうか。あるとしたらばそんな言い方がぴったりだった。私はその中から二枚を選び出して購入することにした。私は気に入ると話が早く、あまり迷うということが無い。手持ちが無いのでイタリアではBANCOMATと呼ばれる、つまりはキャッシュカードで支払うことにした。ところが上手くいかない。ラインが混みあっているのだろうか。イタリアではよくあることだ。それで銀行に出向いてお金を引き降ろすことにした。銀行の機械にカードを差し込むと、私のカードを飲み込んだきり作業が勝手に終了してしまった。困る。それはとても困る。私は大慌てで近くにいた見知らぬ人々も巻き込んでカードを取り戻ろうとしたが、機械はうんともすんともいわなかった。銀行の24時間サービスにも電話をしたが上手く繋がらなかった。諦められず機械の前に30分も居たが、店に戻ることにした。全くの不運だった。私は完全に途方に暮れていた。知人の店に戻ると知人夫婦が知恵を絞って、ようやく飲み込まれたBANCOMATをブロックしてくれるラインに辿り着いた。情報不足で停止することは出来なかったので家に戻ってからもう一度電話を掛けることにした。既に20時半を回っていた。私は知人の店を引き上げたかった。迷惑かけるのも程ほどにしなくては。知人だからこそ迷惑をかけたくなかった。購入したかった服は残念だけど、後日に先送りとなった。大丈夫、大丈夫と強がって知人と別れたが私は酷く疲れていた。その上帰りのバスがなかなか来なくてすっかり体が冷えてしまった。何という日、何という不運。私は完全にノックアウトされたまま帰宅した。郵便受けを開けたら白い封筒が入っていた。封筒の中の手紙には古いBANCOMATが先月期限が切れたことが記されていた。そして新しいBANCOMATが入っていた。先ほどの電話番号に電話するとようやく事情が分かり始めた。機械に飲み込まれたBANCOMATは期限切れだったので飲み込まれてしまったこと。いつもの私なら新しいものが届く前に期限が切れてしまった事実に怒り出すところだが、その元気はなかった。そうだったのか。良かった。良かった。疲れが最高潮に達して私は崩れるように眠りについた。深い、深い眠りだった。
今朝早く大雨が降った。あまりの凄さに目が覚めたほどだった。私は身体を横たえたまま雨音に耳を傾けて昨日のことを考えた。あれは確かに不運だった。BANCOMATに有効期限が存在することに気がつかなかったが為に起きた、考えてみれば身から出た錆のような不運。しかし不運でありながら私は幸運だった。一緒に知恵を絞ってくれる人達が居たこと。独りぼっちでなかったこと。雨音を聞きながら私の気持ちが確実に不運よりも幸運寄りであることを感じて嬉しくなった。不運の向こう側の幸運、それが分かったのは収穫であった。雨脚は更に強くなり、家の日除け戸を強く叩きつける。雨音が全てを冷静にさせていって、私は安堵の眠りに落ちていった。