2010年 02月 13日
お喋りに行こう |
週の初めに電話を貰った。電話に出たのは相棒だったから誰からの電話かは分からなかったが、嫌に楽しそうに話しているので悪い相手からの電話ではなさそうだと察知した。それからボローニャの方言で受け答えしているところから、ある程度の年齢のボローニャ人らしいことも分かったが、それがボローニャ郊外に暮らす年金生活の男性からとは考えが及ばなかった。向うの部屋で楽しそうに長電話していた相棒が切った電話機を片手に握ったまま私のところにやって来て、週末家に来ないかと誘われたことを嬉しそうに報告した。私たちがこの70歳に限りなく近いこの男性と知り合ったのは昨年9月のことだ。秋以来会っていない。時々気になってはいたが、かと言ってそれほど密な関係でもないので連絡も取っていなかった。その彼から家に来ないかと誘われたとはどうしたことだろう、と一瞬考えたが彼が一人暮らしだったことを思い出して、きっと私同様この寒くて長くて憂鬱な冬に辟易して話し相手が欲しいのだろう、と勝手に答えを見つけ出した。今日は朝から良く晴れて郊外へ行くには最適な土曜日だった。私が暮らすピアノーロもボローニャ郊外だけど、今日私たちが向う郊外は反対方向の郊外でピアノーロから北に50kmほど行ったところ、フェッラーラ県に程近い町だ。途中でこの道沿いにあるカフェに立ち寄り出来立ての菓子とカップチーノでお腹の小さな隙間を埋めると、またひたすら走った。緊張感一杯の坂道と急カーブばかりのピアノーロへの道とは違う、遠くまで見通すことが出来る平地の田舎道を走るのは素敵だ。心も穏やかになっていく。彼の家に着いたのは午後の2時半を回った頃だった。彼は首を長くして待っていたらしく、車の音がするなり外に出てきて歓迎してくれた。居間の暖炉に火がはいっていた。ぱちぱちと小さな音を立てながらくべられた木が燃える様を見るのは久し振りだ。3人で暖炉を囲みながら話し始めた。時々話が分からなくなるのは彼らがボローニャの方言で話すからだ。ほんの少しフランス語にも似ているボローニャの方言を私は少し理解できて、しかしテンポが速くなってくるとさっぱり分からなくなる。この方言も多分そのうち消えていくだろう。若い人たちがボローニャの方言を使っているのを私は聞いたことが無いから。案の定、彼は話し相手に飢えていたらしい。まるで高校生の女の子達の話のように、次から次へと話題が変わり話は尽きることが無かった。特に面白かったのは近郊の町の話だった。いい肉屋があってね。COOPや普通の店よりちょっと高めだけど、兎に角いい肉なんだ。放牧の国産牛なんだ。ここのを食べたら他の肉なんて食べられないさ。それからいい食事処があってね、一皿目、二皿目、それから美味いワインも飲んで12ユーロだ。美味くて安いからいつも混んでいて直ぐには座れないけれど、一度行ってみるといいよ。木曜日には市場が立って新鮮な魚が買えるんだ。肉の方が好きだけど、たまには魚もいいものさ。ここの道を真っ直ぐ行ってね、道なりに右の方に行ったらひたすら走る、すると右手にあるから直ぐ分かるさ。70年代終わりにここに家を建てて以来隣町に通っているのは、この辺りには気の利いた店が無いからなのだと言ったけど、彼は車でたったの10分の隣町へ行くのが気に入っているのだろうと思った。気がつくとさっきまで明るかった外がすっかり暗くなっていた。ああ、もう6時。それをきっかけに腰を上げた。ああ、楽しかった。いつでも遊びに来てくれよ。明るい彼の声に見送られて家を去った。寒くて長くて憂鬱な冬はいったい何時まで続くだろう。3月半ばになっても春の兆しが無かったら、もう一度お喋りに行くことにしよう。彼の為に、そして私たちの為にも。
by yspringmind
| 2010-02-13 23:50
| bologna生活・習慣