2008年 10月 08日
ottobre (10月) |
10月になると思い出すことがある。私がボローニャに暮らし始めた年の10月のことだ。私はボローニャからエミリア街道をひたすら真っ直ぐ行った田舎町に暮らしていた。望んでそうした訳ではない。成り行き上そうなったのだ、と言ったら感謝が足らないかもしれない。兎に角、その田舎町行きのバスの終点から一本道を歩いて更に30分も掛かるようなところに家を借りて暮らしていた。何もないところだった。机の前の小さな窓から見えるのは霧に煙った農地ばかり。夏は開放的で良かったが、10月の声を聞いた途端に気温ががっくり下がって、これからを不安にさせるにはとても効果的だった。ボローニャに来て5ヶ月目だった。何をさせても機敏でない私なのだ。5ヶ月目なのに何ひとつうまくいっていなかった。友達と呼ぶにはあまり親しくない、単なる知人と呼ぶに等しい人達が私の狭い生活範囲の中に両手で数えられるくらい居るだけだった。時々ボローニャの旧市街へ足を運んでは、こんな所に暮らしたいと思った。イタリア語はあまり話せなかった。それでも相棒と分からないイタリア語で必死になって話をしたのは "彼らは私たちの分からない言葉で話をしている、きっと何か私たちに聞かせたくない話をしているに違いない" つまり私と相棒が内緒話をしているに違いない、みたいな声が周囲から聞こえてきたからだ。無理もない。ここはそんな田舎だったのだ。ここで異国人は私だけだった。ボローニャ旧市街を歩いていても東洋人とすれ違うなんてことは滅多になかった時代なのだ。私は次第に家に篭るようになり、毎日机の前に座っては遠くに暮らす家族や友人達に手紙を綴った。それが私の10月だった。時折窓の外から野鳥の声が聞こえたりすると、とんでもない所に来てしまったと思っては嘆き悲しんだ。あれから随分の年月が経つが10月になるといつもそのことを思い出し、胸がキューっと締め付けられる。それはほんの少し辛い思い出だけど、胸が締め付けられるのはそれだけが理由ではない。現在の、そう、現在への感謝だ。私が機敏でないのは昔と同じ。けれども随分強くなった。周囲の異国人への理解も深まり、異国人だからという理由で嫌な思いをすることもなくなった。田舎町も好きになった。心を打ち明ける友達も得た。生活を安定させてくれる仕事にも就いた。10月はそんな小さなことに感謝する月だ。もう窓の外を眺めて、ひとり悲しむことはない。
by yspringmind
| 2008-10-08 13:00
| bologna生活・習慣