2008年 06月 28日
毎日の小さなこと |
何がどう忙しかったのか、今思い返すと良く分からない。しかし慌しく過ぎていこうとしている6月の終わりの一週間である。今朝、寒くて目を覚ました。寝室以外の窓を開け放して寝るようになったこの頃だが、それでも寝苦しくておかげで睡眠不足であった。それが今朝は寒くて目が覚めたのだ。眠い目を擦りながら居間の大きな窓を閉めに行く。まだ6時にもなっていない、しかし空は既に明るく週末を何処かで過ごすのか近所の人達が車に乗り込んで出発するところであった。まあ早起きだこと。そんなことを思いながらもう一度眠りに付いた。土曜日の朝寝坊は幸せだ。色んなことがたて続きに起こって不幸のどん底気分になっていたが、朝寝坊が出来る環境が保てるのだから思っていたほど不幸だったのではない、と思う。世の中にはゆっくり眠りたくても環境や状況が許さない、そんな人だっているのだから。感謝を忘れてはいけない。朝寝坊が出来ることを感謝しますと心で神様に感謝しながら、そんなことを感謝された神様は当惑しているに違いないと思った。物事はゆっくりと良い方向に向かっているような気がする。文字通り、気がするだけで単なる錯覚かもしれないけれど、それでも自分がそう思えるようになったことが私は嬉しい。この1年の間、人間関係の縺れや小さな妬みに疲れていた。人はどうして他人と自分を比較しては妬むのだろう。妬みとは醜いものだ。いや、その妬みをバネにして、よし!自分も負けないように頑張ろう! と思うならばそれは良いことなのだけど。兎に角私はそういう状況の中で少しづつ人を信頼するのが怖くなっていたのである。悲しいことだ。そんな中で残った数少ない信頼関係だけが救いであった。最近、土地測量士の年上の男性と知り合った。恐らく60歳にもうすぐ手が届く、そんな年頃の人である。彼の妻はもう少し若く、知性的で明るくて優しい人だった。初めて会う人を信頼するのは難しい。信頼する必要もないかもしれない。しないほうが良いのかもしれない。その翌日、思いがけずまた会うことになった。彼らの様子が少し昨日と違う。もう少し腹を割った話し方に変わった。ひょっとしたら彼らも同じことを考えていたのかもしれない。そして私を信用してみようと思ったのかもしれなかった。ちょっと会うだけの予定が1時間にも及び、おかげで蚊に11箇所もさされて死ぬような苦しみを味わった。別れ際の握手で彼らが私の手をしっかりと包んだ時、ほんの少し信頼してみようと思った。昨日の夕方via santo stefano で96番のバスを待っていたところ、後方で私の名字を呼び捨てで叫ぶ者あり。振り向いてみると例の土地測量士であった。道の向こうで大きく手を振っている。あら、あら、こんなところで会うなんて。それにしても毎日会いますね。そんなことを言いながら言葉を交わす。一昨日よりも昨日、昨日よりも今日、少しづつ信頼関係が生まれているようだ。そんな風にして私は人間関係に対する恐れを克服していくのだと思う。毎日の小さなこと、うっかりすると見落としてしまうようような、実際見落としても別に何の問題もないような小さな事たち。でも、そんなことを積み重ねて私は自分を取り戻そうとしている。
by yspringmind
| 2008-06-28 12:29
| 友達・人間関係