旧市街の細い道を歩くのが好きだ。2本の塔の直ぐ近くのvia oberdan も好きな通りのひとつである。大通りを背にして歩き始めると右手に眼鏡屋、少し歩くと洒落た生活用品を置く店。その少し手前の左手には家具や小物をを狭い店内にごちゃごちゃと並べてはいつ覘いても沢山の人で賑わっているエスニックの店。この通りは小さな店を外からのぞいて歩くだけでも十分楽しい。だからなのだろうか、ボローニャの人々はここを好んで歩く。少し行くと右の脇道に入る角にこんな店があった。あ、地球儀だ。どうやら店は奥深く、成る程、数件先の店に繋がっているらしい。それにしても地球儀をこうしてみるのは実に久しぶりであった。ふと子供の頃のことを思い出す。私は世界史が苦手だった。何しろ記憶力が異常に悪いのである。だから年号と出来事、そしてカタカナを幾つも連ねた名前をセットにして覚えるのが大の苦手だったのだ。だから試験は言うまでもなく最悪だった。しかし授業を受けるのは好きだった。世界の何処かで昔起きたことを想像しながら気耳を傾けたものだ。もうひとつ好きだったのは地理だった。地図が好きで、それを見ながら頭の中で世界旅行をしていた。その当時うちには水色の地球儀があった。試験勉強をしながら時々地球儀を回し、そうか、こんな国もあるのだな、などと感心しては勉強が暗礁に乗り上げるのだった。この国のこの町へ行こう。そんなことを夢見ているのは今も同じだ。昔とちっとも変わらない。暫く店の前でそんなことを考えながら佇んでいるとガラスの向こうに店の人が立っていた。入り口は数件先のあそこだよ、と言っているようだ。うん、うん、分かっている、と右手を挙げて礼を言う。
それにしても。その隣の贈答用品を売る店は昔は塩漬けの鱈を売る店だった。私は大そう気に入っていて、たまに店に寄っては鱈を買った。何度も水を取り替えて塩抜きするのが面倒だったが質の良い鱈はとても美味しく、そうだ、店は大そう繁盛していたではないか。それがいつの間にか閉店となり、贈答用品を売る店になってしまった。この店もなかなか趣味が宜しくていつ覘いても人で一杯。しかし私は塩漬け鱈の店のほうが有難かった。この前を通る人達のなかでそのことを思い出す人は今でもいるだろうか。過去のことは忘れられていくのだろうか。そういうものかもしれないけれど、それは少し淋しくもある。そんなことを考えながらいつまでも目の前に立ち並ぶ地球儀を見ていた。