2007年 08月 20日
budapest 散策 |
そこに行って自分の目で見たり体感しないと解らない国や街があるが、まさにハンガリーがその国のひとつでありブダペストがその街のひとつだと思う。私にしても数年前まで色んな先入観を持っていて友人が暮らしているにも関わらず今ひとつ足踏みする感があった。ほんの少し前まで社会主義だった国、大きな動乱があった国。私の頭にはカサカサ乾いたあまり良くないイメージが充満していたが、実際行ってみたら持っていた先入観は間違えだったと思い知らされ同時に目が覚めたような感じに包まれた。素朴な優しさ、人間らしい生活、控えめだけど奥深い豊かな文化。私がどう語ろうとも行ってみて貰わないことには本当のところを知って貰うことは不可能であろう、しかしそれでも私はこの街について語らずにはいられない。私がブダペストに行って何をするのが好きかと言えば勿論温泉に行ってのんびり過ごすこともあるけれど、街を散策することが一番好きであり一番の目的でもある。初めは見るもの全てが珍しくて大きな博物館のようにすら思えた街も、回を重ねるにつれて何に惹かれているかの自分分析が出来るようになって路を選んで歩けるようになった。ボローニャに暮らす私にはブダペストはとても大きくて、一言で散策と言っても2,3時間で終えることなどは出来ない。いりくんだ数々の交通手段を使ったにしても何日も掛かってしまう。大通り、小通り、路地、広場。小さな骨董品店を見つけてはそこで小一時間費やして、また歩き出す。疲れたら溢れるほど存在するカフェで休憩すればよい。観光者に慣れていない店に行くといつも驚く。ハンガリー語しか通じないそういう店の人達は大抵の場合感じが良くて友好的だ。だからまた次の休暇にも立ち寄る。そうやって行きつけの店が増えていく。ブダペストは首都なので物が豊富だ。それでも恐らくは日本からの駐在の人達はこんな不便なところ、と文句を言っているであろう。日本があまりに豊かで便利過ぎる為に現代人は工夫して生活することを忘れているのではないだろうか。それにしてもブダペストが不便だったらボローニャなどでは3日も暮らせないに違いない。そういう私もその昔は、ボローニャの不便さを呟いては怒り爆発で周囲を困らせたものであるが、なければ作ればよい、工夫して便利な状況を生み出せばよい、不便だと思うから不便なのだということに気が付いた。気が付くことが出来てよかった、気が付くのに相当な年月を要してしまったけれども。さもなければ今頃不満だらけの最悪な生活、且つ最悪な性格になっていたに違いない。ボローニャの良さに気が付く前に出て行ってしまっていたかもしれない。そんな私なのでブダペストの便利さには全く脱帽で、ちょっとしたことに感激しては顔を輝かせて、凄いなこの街は、と言わずにはいられない。さて、ハンガリーがEUに参加するようになって物価が上がった。通貨がユーロに替わると言われている2010年には、数年前イタリアの通貨がリラからユーロに替わったときのような混乱と物価沸騰があるのだろうか。そんなことがある前に私の大好きなこの国の全ての人が安定した生活を手に入れて、イタリアの二の舞にならぬことを祈るばかりである。
by yspringmind
| 2007-08-20 12:44
| 小旅行・大旅行