2007年 07月 07日
保守的だけど夏型 |
堅いことが好きなボローニャの人々。大変保守的であるが、中を覗けば好奇心旺盛、それが私が感じているボローニャの人々の印象だ。例えば外国人に対して彼らは"果たしてこの人はイタリア語が分かるのだろうか、話しかけても良いものだろうか"と戸惑っている訳だ。例えば私に対してに述べるとしたら"いったいこの人は何人だろうか。日本人にしては高価なものを持っていないし中国人でも韓国人でもなさそうだ。そうだ、肌が焼けているからフィリピン人に違いない。"と、物色する目をチリチリト感じるが決して悪気があるわけでない。実際こちらから、さあどうだ、と言わんばかりにおもむろに話しかけると驚きを一切隠すことなく、しかし嬉しそうに話に乗ってくる。以前の私はそういう目に慣れていなかった為、いちいち傷つき人間嫌いになりかけたものだ。しかしだんだん分かってきたのだ。彼らは保守的なので話しかける勇気がないのだ、だから私から話しかければよいのだ、ということを。今、私が暮らす丘の町には東洋人が私を含めてごく僅かしか居ないこともあり久しぶりに皆の好奇の目を一身に浴びている。久しぶりと言うこともあり一時は居心地の悪さを感じたり、今時日本人を珍しく思うこともないだろうと一種の怒りを感じたものだが、ふふん、私は知っている。この辺りの人たちはボローニャ市内の人達よりも更に保守的であることを。皆話しかけたいけれど話しかけることが出来なくて、じりじりしているのだ。私のオリジナルの性格上、知らない人に気軽に話しかけることなど出来ない筈であった。しかしこんな状況に置かれたら人間、性格などは変わるものなのだ。向こうが待ちの体制ならばこちらがアプローチするしかない、と言う訳で大変積極的な性格になった。これは多分、ボローニャの暮らしで得た宝物のひとつだろう。そんな個人の性格の他に季節的な性格が存在することを知っている。冬が長くて暗くて憂鬱なボローニャ辺りは、4月頃の明るい生活が始まると同時に性格が夏型に切り替わると言ってよい。何ごとにもポジティブで新しいことを受け入れる心を持ちとても楽観的、開放的だ。目の前には長いヴァカンツァが待っていて今が絶好調の時期なのである。その性格は長く続かず11月にもなると再び心の貝を閉じたりするが、単純明快で私の笑いを誘って止まない。単純明快。いつだったか、そう彼らに言葉を放ったら、それは君のことだろう、と返された。どうやら喜怒哀楽が激しいようである。
by yspringmind
| 2007-07-07 12:17
| bologna生活・習慣