2010年 03月 07日
良い日 |
昨日の朝は本当に寒かった。いつもよりゆっくり起きて朝食を済ませると、久し振りに大掃除をしようと決めた。外は寒く、薄日の射す典型的な憂鬱な冬の日であった。旧市街へ行っても寒くて散策をするどころではないだろう。無理に出掛けて風邪など引くのも嫌だから。そんな風に考えたからだった。私は別に掃除が好きなわけではない。むしろ掃除が嫌いなほうなのかもしれなかった。ただ、汚れや乱雑のなかで生活するのが嫌いなのだ。だから大抵週末の一部を家の掃除に時間を当てて、そして数ヶ月おきに約束も用事も無いこんな日を利用して大掃除をするのだ。纏めてすると体力と時間を沢山消耗する。これは身近な老女の経験話から学んだことだ。ところがである。正午に近づくにしたがって空がどんどん高くなり、日差しも強くなっていく。テラスに出てみると先程までの冷たい空気は無く、驚くほど温かい。11度。ピアノーロが11度ということは、ボローニャは15度もあるだろう。さあ、掃除をしている場合ではないぞ、と大急ぎで身支度して家を出た。まるで本当の春のようだった。天気が良いと気分が良い。空が青いと心が躍る。それにこの空気。私達は確実に春に近づいている、そんな予感のする空気だった。ふと思いついてボローニャ旧市街の中心に建つ二本の塔を背にして歩き始めた。Via Castiglione。此処に来るのは本当に久し振りだった。最後に来たのはいったい何時だっただろう。ひょっとしたら8ヶ月前かもしれない。友人達が遠方からボローニャを訪ねてきた日曜日、強い日差しを遮るポルティコの下を共に歩いた。ボローニャを訪ねてくる友人達と散策するのはいつだって楽しい。ただ、一般的な旅行者が望むような見所なるものがボローニャにはあまり存在しないので、いったい何を見せたら良いのだろうと悩むのだ。私のようにただ散策するだけで満足する人は世間には少ないだろう、と思うからだ。私にとってこの界隈は、言うなれば方向違いの界隈だ。私が利用するバスが通るわけでもないし、行きつけの店があるでもない。用事など更に無くて、敢えて言えば友人の両親が営む小さな花屋があるだけだった。その花屋にも足が遠のいていて、そんな訳で足が全く向かない界隈だった。昼休みの時間帯でポルティコの下に連立する小売店の殆どが閉まっていた。サン・ペトロニオ教会周辺とは違ってこの辺りを訪れる旅行者はあまり居ない。すれ違う人が少ないのは、住人達もまた昼食時だからだろう。自分の靴音が静寂の中に響き渡るのに耳を傾けながらひたすら歩いた。どうしてだろう、どうして私はここを歩いているのだろうか。ひょっとしたら友人の両親達が店の中に居るかもしれないと小さな期待を懐いているのだろうか。それとも彼らを通じて知り合ったこの界隈の人達とばったり出会えるかもしれないと思うからだろうか。それとも単にこの道が好きだからだろうか。多分それらの全部が理由なのかもしれない。うまい答えを見つけ出しながらひたすら歩いた。やはり花屋は閉まっていて、友人の両親は居なかった。途中で誰に会うことも無く、ほんの少し肩透かしだった。それで通り掛りのバールに入った。カップチーノに美味しいお菓子をひとつ。すると向こうの方から、あらまあ、と言って私の名前を大きな声で呼ぶ人が。この界隈では友人の両親の次に知り合いの、親愛なるテレーザだった。何て良い日。やはり外に出掛けて良かった。
by yspringmind
| 2010-03-07 18:50
| bologna散策・あれこれ